【あいちトリエンナーレ】津田大介氏の言い訳について要点をまとめてみた!

解読

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 あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」に関して、芸術監督の津田大介氏が「お詫びと報告」と題した文章を公開しました。
 文章が長い上に要領を得ない構成になっており、大変内容が理解し難い為、重要な部分を抜き出しつつ、解読してみました。

 津田大介氏の言い訳全文を読みたい方はこちらからどうぞ

 以下、本記事で引用している文章は全て上記リンク先からのものです。

要点その1:自分に責任は無い

トリエンナーレが直接契約を結んだ参加作家はこの「表現の不自由展実行委員会」です。そのため、トリエンナーレと「表現の不自由展・その後」に作品を出品したアーティストとは、直接契約していません。

(中略)

「表現の不自由展・その後」にどの作品を展示し、どの作品を展示しないかは、最終的に「表現の不自由展・その後」の出展者である不自由展実行委が決定権を持っていました。

 「表現の不自由展・その後」の参加作家と直接契約は結んでいないし、どの作品を展示するかの決定権は実行委員会が持っているので、「自分に責任は無い」と言いたいようです。

 しかし、津田大介氏は「芸術監督」です。
 「監督」の意味は、「取り締まったり、指図をしたりすること。また、その人や機関」(コトバンクより)とあります。

 全体を統括し責任を取る立場であり、実務は自分以外の担当だからと責任逃れをするのは言語道断と言う他無いでしょう。責任者は何かあった時に責任を取る為に居るのです。

 そもそも、「あいちトリエンナーレ2019」内で「表現の不自由展・その後」の展示を行って欲しいと実行委員会に依頼したのは、津田大介氏です。

僕は、2018年の5月10日(木)にキュレーター会議でこの展示を再び展示することを提案しました。そして1カ月後の6月10日(日)に、たまたま映画『共犯者たち』を東京で上映するイベントを主催していた「表現の不自由展」実行委員会の方に、映画を観た後にお声掛けしました。

 自分から批判が来るかもしれない展示をやってくれと依頼しておいて、作家が展示することを希望した作品を断ると、「検閲」になってしまうという主張はマッチポンプ以外のなにものでもないでしょう。

 そもそも、誰も自費で展示するのを禁止しろとは言っていません。税金を使い公共の場所で、大多数の日本人に対して尊厳を傷つけるような展示をしようとするから批判されるのです。

 自費でどこか場所を借りて、勝手に展示するぶんには誰も批判しないでしょう(展示を見に行く人も誰も居ないと思いますが)。

 

要点その2:街宣車やテロ対策の為に、情報を事前公開しなかった

②街宣車・テロ対策(警察との情報共有、事前のリスク共有、仮処分申請の準備)

(中略)

しかし、県や警察、弁護士に相談する過程で「これは②について相当準備しなければ危険ではないか」という懸念が示されました。とりわけ街宣車やリアルの抗議は準備に時間が必要であるため、1カ月前に内容を告知すること自体が大きなリスクになる、という意見を様々な専門家からいただきました。様々な議論を経て「警備の安全性を高めるには、会期直前で内容を発表した方がいい」という結論に至り、7月31日(水)の内覧会で初めて発表するということにしました。

 事前に情報を公開すると、街宣車やリアルの抗議に必要な準備期間を与えてしまうので、直前まで情報公開しなかったと主張しています。

 しかし、現実には放火予告犯が逮捕されていますし、液体を警察官の足にかけた男が公務執行妨害の疑いで逮捕される事件も発生しています。充分な対策が出来ているとは、とても思えません。

 そもそも、暴力的な抗議は駄目ですが、展示内容に対する抗議であれば特に問題無いでしょう。表現の自由は展示する側だけでなく、批判する側にも当然あるのです。
 もし、暴動に発展したり公共施設を占拠するような場合は、警察に対応をお願いすれば良い話です。

 また、「表現の不自由展・その後」の目的が、「表現の自由が脅かされている事に警鐘を鳴らし、自由をめぐる議論の契機を作りたい」というなら、尚更事前に情報を公開し、会期が始まる前から広く市民に意見を募るべきだったでしょう。

 

要点その3:慰安婦像は日本批判では無い

《平和の少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない、と作者が説明しています。最大の特徴は、観る人と意思疎通できるように椅子を設けたことで、椅子に座ると目の高さが少女と同じになります。《平和の少女像》には女性の人権の闘いを称え、継承するという意味もあり、作者は像を日本批判ではなく、戦争と性暴力をなくすための「記憶闘争」のシンボルと位置づけています。

 平和の少女像は慰安婦像ではなく、日本批判では無いと主張しています。

 しかし、運営側が「平和の少女像」=「慰安婦像」であると認識していた資料も明らかになっている今、この主張は完全なる嘘でしかないでしょう。

表現の不自由展 展示内容

《平和の少女像》は、日本政府の歴史認識を超えた歴史観を僕たちに押しつけるものではなく、そのような過去を反省し、未来に向けて立派に生きていくことを誓った僕たち日本人を貶めるものではないと考えます。

 津田大介氏は、慰安婦像が日韓の間で外交問題に発展しており、いわゆる慰安婦問題に関する日韓合意の合意事項である慰安婦像の移設に対して、韓国政府が履行していない状況をご存知無いようです。

 

要点その4:天皇を批判していない

日本人を統合する象徴――アイデンティティとしての昭和天皇。日本人として収斂される自分と、そこから外に出たい自分の両方が葛藤している。その葛藤をコラージュという手法で表現した絵であると作者は述べています。大浦さんは昭和天皇の肖像は日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。

 昭和天皇の肖像は日本人としての自画像だから、燃やしても天皇を批判しているわけではない……言い訳にしても酷過ぎると思います。自画像を燃やしたいのなら、自分の写真を撮って勝手に燃やして下さい。

また昭和天皇は今上天皇から見て2代前の天皇であるため、これを燃やす映像表現であっても、現在の日本の体制に対する反抗等には当たらないと受け止めていたからです。戦後生まれの僕にとって、天皇とは、敗戦によって元首の座を降り、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴となった以降の昭和天皇であり、上皇であり、今上天皇を指していました。大浦さんの作品に使われていた主権者としての昭和天皇は、僕にとっては、それ以前の天皇と同じように、歴史的、象徴的な存在だったのです。この点については、そうではない人々が抱く感情についてもっと想いを馳せるべきだったと反省しています。

 誰も天皇の肖像を燃やすことが、現在の日本の体制に対する反抗に当たると考えて批判しているわけでは無いと思います。
 日本国民統合の象徴であり、終戦時自分の保身ではなく、ただ日本国民の衣食住を願ってマッカーサーに頭を下げた昭和天皇だからこそ怒っているのです。津田大介氏は日本国民の天皇に対する想いをまるで理解していない。

 

要点その5:芸術監督は辞任しない

トリエンナーレは残り60日もの会期があり、トリエンナーレを楽しみにしてくださっているお客さんのためにも、今回の騒動に際してそれぞれの形で連帯してくださっているアーティストのためにも、最後まで現場監督としてトリエンナーレを無事終えることが自身の責任の取り方であると考えています。8月16日には「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」も立ち上がります。進退等については、検証委員会で一定の結論が出るまでは与えられた職責を果たしていこうと考えております。

  本人いわくどんな作品を展示するかの決定権も無い、何かあっても責任も取らない責任者などいても全く意味が無いので、一刻も早く辞任して欲しいですね。または、今回の責任を追求されて解任されるでも良いですが。

 まだ、芸術監督の報酬が残っているということですので、それを残らず受け取る為に辞任したくないのでしょう。
 そもそも何故、津田大介氏が芸術監督に選ばれたのかという所からしてさっぱり理解出来ませんので、ぜひ詳細を明らかにして欲しいですね。

 芸術監督の報酬は元は税金ですので、関係各所に迷惑をかけた損害賠償を上乗せした形で、全額返金してもらわなければ愛知県民は納得出来ないでしょう。

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